バブル後 2007 10 5
私は、「バブルの対処」について、
かつて、厳しいことを書きましたが
(「明暗 2005 2 8」、「衆愚政治 2004 8 20」)、
当時の人たちは、ベストを尽くしたけれど、
結果的に失敗をしたと言えるかもしれません。
それほど、バブルの対処は難しいのでしょう。
現在、世界を見渡せば、いくつかの国で、
似たようなバブル状態となっていますが、
同じ道を歩まないように祈ります。
それにしても、バブルの対処は難しい。
バブル状態と認識しても、
金利を上げすぎれば、バブル崩壊、
金利を上げないと、制御不能のバブル状態になる。
過剰流動性(金余り)を、株式市場が吸収できれば問題ないが、
溢れ出せば、それが不動産市場へ向かう。
不動産市場がバブル状態となれば、多くの非難を招く。
不動産というものは、
多くの国民にとっては、生活の場であり、
企業にとっては、生産活動の場である。
それが投機の対象となってしまい、
マイホームが欲しいと思っても、不動産価格が高騰、
新しく工場を建てようと考えても、不動産価格が高騰。
これでは、「怒り」が不動産投資(不動産投機)に向く。
こうなると、政治家は動かざるを得ない。
そして、市場に「政治的な規制」が入る。
「政治的な規制」は、たいてい「市場の失敗?」を招く。
つまり、バブル崩壊となる。
要するに、バブルは、必然的に
バブル崩壊へ向かう運命にあると言えるかもしれない。
過剰流動性が株式市場に向かっている分には、
誰も非難をしない、つまり誰も困らないからだ。
しかし、過剰流動性が不動産市場に向かうと、
非難が出始める、つまり困る人が出てくるからだ。
明暗 light and shade 2005 2 8
知人から、このようなことを、よく聞かれます。
「この20年間(1980〜2000年)で、何が起きたのか。」
「1980年代は、日本経済は、絶好調で、
世界中の富を買い占めるぐらいの実力があった。
都市銀行は、世界ランキングの上位を独占していた。」
「1990年代は、日本経済は、不況や不景気に悩まされ、
世界経済における日本の地位が、大きく低下してしまった。
都市銀行は、合併しないと生き残れない状態まで、弱体化した。」
これに対する私の答えは、
「多くの者が、経済というものを知らなかった。
そして、日本経済の仕組みも知らなかった」と答えています。
だから、1990年代において、日本は、「官製不況」になってしまったのです。
多くの国が、これを教訓としてほしいと思います。
衆愚政治 mobocracy 2004 8 20
人気取りの政策は、必ず失敗します。
たとえば、2004年8月19日の日本経済新聞には、このような記事があります。
「新宿の西富久の土地には、旧日本債券信用銀行など複数の銀行が、
総額数百億円の融資をつぎ込んでいた。
ところが、旧大蔵省が、不動産向け融資を抑制させる『総量規制』を導入。
資産デフレの中で、融資の担保になっていた土地は、
1平方メートル約200万円から55万円に急落。
担保割れで、融資は不良債権化し、
地上げ途中の土地は、そのまま塩漬けになった。
土地神話を背景に膨らんだ不動産担保融資は、
地価下落で、巨額の不良債権に姿を変えた。
銀行は、公的資金注入を受け、
金融再編を繰り返しながら、その処理に10年の歳月を要した。」
当時は、多くの人が、不動産価格の高騰を、一方的に悪者にして、
これを退治するということで、人気取りをしていたのです。
しかし、こうした人気取りの政策は、必ず失敗します。
これは、大衆迎合が度を過ぎると、どうなるかという失敗例でしょう。
このケースは、衆愚政治の一例として、記憶に残るでしょう。
資本主義国において、株式市場は、エンジンであり、富の源泉でもあります。
しかし、日本においては、もうひとつエンジンがありました。
それは、不動産価格です。
実は、これが、本当の「日本の富の源泉」だったのです。
実質的には、株式市場は影の存在であり、本体は不動産価格だったのです。
そういうわけで、日本においては、ある意味で、
不動産価格は、株価の役割を果たしていたのです。
たとえば、アメリカにおいて、株価を下げる政策を実施したら、どうなるでしょうか。
おそらく、アメリカ経済は、大混乱となってしまうでしょう。
しかし、日本においては、そういう政策をやってしまったのです。
不動産融資の総量規制、そして金利の急激な引き上げ。
こういう政策を実施すれば、不動産価格が急落しますので、
当時の世論からすれば、人気取りとなったでしょう。
しかし、日本経済は、大きく失速しました。